かえるくんにきをつけて 五味太郎/作
<どんな絵本?> かえるくんがやってきますよ きをつけて・・・ という序章。そしていよいよ、かえるくんはやってくるなり、 よっ おれ かえるくん ゆうめいな かえるくんだぞ 乱暴な言葉遣いでもって、芸を披露したり、クイズを出したり。なぞの物体を持ち出してこんな質問を・・ じゃ これなんだ?わかるか? 真剣に考えるものの、答えがわからないままに、ページをめくると、 わかるか こんなもの! と、吐き捨てるようなセリフが。そして、またページをめくると ぺろっ! と、画面いっぱいに目をとじて舌をだした顔が。 あっ そうだ おれ かえらなくちゃ かえるは かえる じゃあね <初めて読んだ3才11ヶ月のヒメの反応> 横柄な態度のかえるくんが手品をみせてくれたり、質問をしてきては、拍子ぬけするような答えを言ったりすることにも、終始きょとんとしながら、固い表情で本を見つめていました。 ところが、「ぺろっ!」と舌を出して小馬鹿にしたような表情が、見開きいっぱいに描かれたページになると、一瞬わたしの顔を見てとまどいながらも、ゲラゲラと大爆笑。 <おすすめポイント> 内容を予測できないタイトル、かえるくんの強烈キャラクター、白の背景に、かえるくんは単純な線と色で大きく描かれています。 言葉も少ないので、小さい子向けのようでもあるが、このナンセンスについていくためには、ある程度の経験が必要かも。4歳頃からがおすすめ? <現在5才0ヶ月のヒメの反応> かえるくんの問いかけに、いちいち答えています。手品のタネを考えたり、数字の「6」を逆さにして「9」というかえるくんに、「ずるいなあ」と言ってみたり、かえるくんが「わかるか、こんなもの」と投げ捨てる物体に「自分でもわからないのに、聞いちゃだめだよ」とか、少しお怒り気味? 。でも「ぺろっ!」の表情には、やはり大爆笑。かえるくんと同じ顔まねをして、さらに笑っています。「もう一回!」と何度もリクエストしてきたけれど、字も大きく文章も短いので、自分で読むのも楽しいみたいです。タイトル文字を見て、「字が下手だね」と辛口批評 ![]() <まつりかの感想> 一体何に気をつけろというのか、展開が気になるタイトルのあとに、さらに念押しするかのように「かえるくんがやってきますよ きをつけて・・」という。 かえるくんのセリフは、太字のゴシック体で書かれ、態度のでかさが表れています。 ひねくれもので、こましゃくれていて、身勝手。確かに人に「気を付けられてしまう」存在かもしれない。 居る、居る、こんな子。つかみどころのない子。 でもこういう子は、どこか不可思議で存在感があるんですよね。 突然現れたかと思うと、自分都合でさっさと退散していくかえるくんには、絵本を閉じたあと、荒地に置き去りにされたような気分になりました。この絵本を理解不能な自分がいて、でもやっぱり理解してみたいという気持ちもあって。いや、かえるくんの変人ぶりに、羨望しながらも、そうなれない現実があるからこそ読後に呆然としてしまうのかもしれません。 でもヒメは、そんな私を尻目に、「面白い、面白い」と大ウケ。さらに、「ぺろっ!」の技をいたるところで発揮。なんだか小馬鹿にされているようで、腹も立つ反面、したり顔のヒメが可笑しくもあり。 かえるくんにはやはり気をつけたほうがよさそうです。 ![]() |
ろくべえまってろよ 灰谷健次郎/作 長新太/絵
<どんな絵本?> 深い穴に落ちた、犬の「ろくべえ」。 小学一年生の5人の子どもたちが、穴をのぞきこみながら、ろくべえ待ってろよ!と励まします。 通りがかる大人たちは、何もしてくれません。 子どもたちは、歌を歌ったり、シャボン玉をふいたりしますが、ろくべえは、元気なくうなだれたまま。 頭が痛くなるほど策を考え、思いついたのが、ろくべえの恋人犬、「クッキー」をかごに入れて、穴に降ろし、ろくべえが喜んでかごにはいったところを、吊り上げるというもの。 クッキーを かごの なかに いれました。 そろり、そろり。 そろり、そろり。 そろり、そろり。 そろり、そろり。 ぐらっ。 「あっ。」 もう、すこしで おちそうでした。 あぶない。 あぶない。やっとつきました。 見事、ろくべえはクッキーと一緒にかごに飛び乗りました。 しめた。 そら。いまだ。 「わあっ。」 みんな、おおよろこびで ロープを ひきました。 <初めて読んだ3才3ヶ月のヒメの反応> 犬が穴に落ちているということで、「かわいそう」 といい、「怖いから読みたくない」と言っていました。途中上の空で、あまり話もきかないまま、「クッキー」という言葉だけが耳に残ったようで、読み終えた後の一言は、「ろくべえは、お菓子があったから、かごに入ったの?」と(オイオイ )<おすすめポイント> 穴に落ちた犬を、上から見守る子どもたちの、不安・心配・期待などの心理がひしひしと伝わる会話。一筋縄ではいかない展開にハラハラします。 また、薄暗い穴におちた犬のさみしげな表情や、それを上から見守る子どもたちの表情を描いた、長新太氏の絵が見事です。 小さな子どもたちが、大人をあてにせずに、自分たちの知恵で犬を助け出していく展開は、手に汗握るものがあり、お話に引き込まれていくこと間違いないと思います。 <現在5才0ヶ月のヒメの反応> ヒメは半年前から『マコチン』がお気に入りで、同じコンビで作られたこの絵本を、久々に手にしてみました。 子どもたちがお母さんを呼びにいく場面にホッとしたのもつかの間、結局何の力も貸してくれなかったことに、ヒメは随分と腹を立て、「ほら、だからお母さんはだめでしょ 」と、思わず私がとばっちりを受ける破目に。。。このあと、通りすがりの男の人が、穴を覗き込んだだけで去っていく場面になると、「なんで助けてくれないの!」と今度は涙声。 こんなにも感情移入しているため、ろくべえ救出成功という結末には、大拍手で 「やったね〜」と言って私に抱きついてきました。そして、表紙の「ろくべえ」をなでなでしながら「よかったね〜抱っこしてあげる」と。読み終えた後は、どっと疲れている様子でした![]() <まつりかの感想> 灰谷健次郎氏がはじめて手がけた絵本。 ろくべえが、死んでしまうかもしれないという不安の中で、自分たちに今できることをあれこれ模索していく様子はとても温かく、それに対して大人たちの無情さが浮き彫りになっています。 絵本のカバーには、「作者のことば」「画家のことば」として灰谷氏と長氏のコメントが載っています。 長氏の言葉を引用しますと・・「ろくべえのおちたあなのなかは、くらくてよるのようです。いちばんおわりの、みんなにたすけだされるところは、きゅうに、あさになったようなきがします。・・・・・・・・「よるから、あさへ」わたしは、えをかいていて、そんなかんじがしました。」 そう、この物語は、穴の上にいる子どもたちの目線で描かれているため、当然子どもたちの心情に寄り添えるのですが、暗闇から抜け出すことができた、ろくべえの心情もしっかりと伝わってくるのです。ろくべえの上目づかいな表情や、背中をまるめてうなだれている様子などは、文章だけでは十分でなく、やはり、絵の力によるものが大きいんだろうなと思いました。灰谷氏の短編集としてこのお話が収められているものもありますが、このお話にはこの絵が不可欠だと思うくらい、絵本で読むことをお勧めしたいです。 ところで、文中には、ちょくちょく関西弁が登場します。 「ろくべえ げんきだしぃ。」とか「どうしょう。どうしょう。」 「いぬでよかったなぁ。にんげんやったら、えらい こっちゃ。」など・・ 『マコチン』では、登場人物全員が関西弁を使っていますが、こちらの絵本では、一貫性がありません。子どもたちのお母さんは標準語です。(「むりよ。」「そうだわ。おとこでなくちゃ」「ゆるしません。そんなこと」)それに、子どもたちも全員が関西弁なわけではないのです。 その標準語の具合が、なんとなく違和感を感じてしまいます。やっぱり灰谷さんには、登場人物全員に、こってこての関西弁を使わせてほしかったなあ。 それに・・ろくべえは、誰の犬なんでしょう?救出にかかわった5人の小学生の誰の犬でもないと思われます。野良犬なのか?でも、「ろくべえ」と名前もついているし。一体誰の犬なのか?とても気になる。 ![]() |
ちびっこかたつむり 久保秀一/写真 七尾純/文
<どんな絵本?> ちびっこかたつむりは、雨をよけて葉っぱの裏へ一休み。 湿った空気は大好きだけど、雨は嫌い。 ちょうちょも葉っぱの裏で休んでいる。 でも、アマガエルは、雨が大好き。 そんなアマガエルに誘われて、ちびっこかたつむりも、上のほうに枝をつたってゆっくり移動。 雨がやんで、アジサイの花の上に到着したちびっこかたつむりは、おなかがすいて、やわらかい花びらを食べました。 写真にお話がつけられた自然観察絵本 <おすすめポイント> 紫のあじさいの花、露にぬれた緑の葉や茎、そしてそこを移動する、かたつむりの姿が美しく撮られています。 ちびっこかたつむりの目線で描かれた文章は、優しく物語られていて知識を得ることだけでなく、お話として楽しめるため、カタツムリを見たことのない子どもにも、とっかかりになる本かと思います。 裏見返しの、「カタツムリのひみつ」には、「貝殻・粘液・腹足・歯舌・産卵」についての説明があり、科学知識が学べます。 <現在5才0ヶ月のヒメの反応> かたつむりが、体をぐーんと、まるでスライムみたいに伸ばして、離れた葉っぱへと渡る写真にくぎ付けです。 でもそれ以上に、アマガエルの跳躍写真に「すごい!」と手をたたいて喜んでいます。 <まつりかの感想> 5月末の雨の日、夫と散歩に出かけたヒメは、直径3センチほどのかたつむりを持って帰ってきました。こんなに大きなかたつむりは、私もはじめて見たので感激! ![]() 翌日も雨。私は、自分でも見つけたくて、ヒメに前日見つけた草むらに案内してもらい、葉っぱをひっくり返しながら歩いていると、そこかしこにいる!それもみな直径2センチはある。結局5匹を我が家で飼うことにしました。 雨の日は、飼育ケースから出して、マンション下の植え込みの葉っぱの上をお散歩させて。ところがある日2匹が行方不明になってしまいました。 それからしばらくして、その植え込みの土に小さなかたつむりを発見。よーく目を凝らしてみると、米粒くらいの、殻を背負ったかたつむりがたくさんいたのです。 かたつむりは、雌雄同体。きっと、行方不明になった2匹が交尾をし、産卵したのかも。 カタツムリを飼育するにあたって、図書館で借りたのがこの本と、もう一冊、 『カタツムリ』 草野 慎二 栗林 慧/写真
こちらは、カタツムリが巻貝の仲間であることから始まり、世界のカタツムリの種類も紹介されており、カタツムリの生態についてもより詳しく、写真も豊富で図鑑として楽しめます。 ちなみにカタツムリは、食べるものによって違う色の糞をします。ニンジンを食べたらオレンジの糞、葉っぱをたべたら緑色の糞、新聞紙をたべたら黒い糞。そして、これ は、パチンコ屋さんのチラシを食べた時の糞の様子。白ベースに赤いインクだったそのチラシ。見事に糞に表れていますでしょ。ピーク時には、孵化したばかりと思われるカタツムリも含め、8匹がいました。並んで記念写真 ![]() ![]() 梅雨明けをした関東は、連日猛暑が続いていますが・・うちのカタツムリ君たちは、今も元気いっぱいです。現在、大きいのが2匹と、小さいのが2匹。レタスやニンジン、新聞紙、卵の殻などバリバリ食べています![]() ![]() ![]() ![]() ![]() |
今月6日に5才になったばかりのヒメ。
普段元気に幼稚園に行き、帰ってきてからは毎日のように公園で遊ぶ。 ところが、夜寝る前や、朝起きるときに、必ず「背中が熱い」「背中が痛い」と言って悶絶するのです。 しかし、それも2分くらいすると、おさまる。 日中でも、ふとしたときに「熱いなあ」といってうずくまったり、背中に手をあてて顔をしかめたり。 こんなことが、およそ一年くらい続いています。 今までにも、さまざまな検査をしました。 1年半前に突然真っ赤な尿が大量に出て入院したことがあるため→これも原因不明で退院しているのですが・・・腎臓やすい臓を疑われたけど、検査したところ何も異常は見つからず。 しかし、いろんな人に聞いても、子どもが「背中が痛い、背中が熱い」なんてね〜って言われるし。 一回に痛がる時間は短いけれど、毎日最低でも2回は言い、しかもこの状態がほぼ一年続いているのはおかしいじゃないか、ということで、精密検査を受けるために、入院しました。 医師も、腎臓に異常がある可能性は低く、もしかしたら脊髄や脳関係かもしれないから、ともかくMRIをしてみましょう、ということに。 そして、その結果・・・・「異常所見はありません」 よかった!最悪なことまで考えていたから、何事もなくてほっとしました。 だけど、それならいったいヒメの背痛の原因はなんなのか?? ヒメは明日朝退院します。 病院で、一人で眠ることができたというのが、彼女にはかなり自信になったよう。 苦手なホウレンソウや、椎茸も食べることができたそうだし、点滴や血液検査などの注射 にも一人で耐えたし。病院のプレイルームにあった、オセロが少しできるようになったし。(いまいち、ルールを把握できてないけど) 病院食も毎食ペロリ。ある日の昼食に出た「豚丼」が相当おいしかったらしく、 「前にお父さんが連れて行ってくれた、おじさんばっかり居た、オレンジのお店の味とおんなじだった。すっごくおいしかったから、またあそこに連れて行って」・・・・以前、私が出かけている日に、夫に連れて行ってもらった吉野家の味が忘れられないらしい。 このように、3泊4日の検査入院は、ヒメ自身飛躍的に内的成長したようです。 しかし、親としては。。原因不明という結果が、ただもやもやするばかり。 とりあえず、脊髄や脳といったところの疾患ではなさそうということで、安心を得たのだけれど。 しばらくは、このまま様子を見るということになりそうです。 成長過程におけるものならいいのですが。早くヒメが痛みから解放されますように。 ここ数日は、ヒメのことが気がかりで、何もする気になれませんでした。 ちょうど、図書館から予約本入荷の連絡が入り、昨年末から予約していた、小林聡美さんのエッセイ『ワタシは最高にツイている』をようやく手にすることができたので、読んでみました。
中味はといいますと・・・2004年から2007年に幻冬舎のPR誌「星星峡」に掲載されたものがまとめられたもので、約30のエッセイが載っています。 ユルく、小市民な感じ が、なんともいえず、爆笑はしないけど、右の口角がフッと上がる感じとでもいいましょうか。ヒメのことで、気をもんで、眉間にしわをよせブルーになっている私でしたが、これを読みながら「あら、わたし笑ってるじゃない。」と気づく。 助けられました。本当に。 この本には「がんばれ」とか「負けるな」とかいう熱い言葉は一切ない。 ただただ、小林聡美さんの日常を徒然に書きとめてあるだけで、彼女も人生に向かって必死でもがいているという方でもなく、どちらかというと、運命を味方にしながら、ありのままに淡々と生きているという感じでしょうか。 自分自身を美化しすぎず、卑下しすぎず、他人を悪くいうこともなく、このほどよい加減が読むものを引き付けるのでしょうね。 「ヅラ事情」の項、笑いました。何回読んでも笑える。 眠り薬ですっかり爆睡中のヒメのそばで、本を広げてニタニタ、フッフッ ・・・私の姿は、さぞ気味が悪かったことでしょう。まあ何はともあれ、ひとまず笑える状況になってよかった。 ![]() |
だめよ、デイビッド! デイビッド・シャノン/作 小川仁央/訳
<どんな絵本?> 壁に落書きをする、棚の高いところにあるクッキーを取ろうとする、外から泥んこのまま部屋に入ってくる、お風呂の中で激しく水遊びをする・・・・ デイビッドの行動に、ママは「だめ!」と叱る。 まちなさい、どこいくの デイビッド! デイビッド、しずかにっ! たべものであそぶんじゃないの! そんなにいっぱいいれないの! もう おへやいきなさい! ふざけないの! ・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 怒られてばかりのデイビッドだけど、懲りずに悪さを働きます。 そして、やってはいけないと言い聞かせられたことをやってしまい、こっぴどく叱られて、しょげているデイビッド。ママはそんなデイビッドをどうするかな? <初めて読んだ3才7ヶ月のヒメの反応> デイビッドが鼻の穴に指をつっこんでいる場面で、大笑い。まねをしながら、「お母さん怒って〜」と言っています。 デイビッドの悪戯ぶりを、面白がるどころか、「こんなことやったらダメなんだよね。」と、優等生的な意見を述べています。ラストシーンには、ほっとするようで、デイビッドと同じように私に抱きついてきてニッコリ。 <おすすめポイント> どんなに怒られても、次から次へと自分のしたいことを、したいようにやってのけるデイビッドの行動が斬新。 大きな頭に細い手足、丸と三角で描かれたデイビッドの顔は、シンプルながらも豊かな表情。各場面、見開きをいっぱいに使って、デイビッドのいたずらを描き、文章は、デイビッドの行動を説明する言葉は一切なく、ただママの叱る一言が短く添えられている。 目でデイビッドの悪戯ぶりを見て、耳ではママからのお叱りを聞くという構成になっているこの絵本。デイビッドに共感しともにこのいたずらを存分に楽しむ子や、客観的に見ることでママ目線に共感して読む子など、いろんな角度から楽しめるはず。 ラストは、テンポが急にゆるやかになり、ほっとさせてくれる。 原題は『NO, DAVID!』 <現在5才0ヶ月のヒメの反応> 「だめ」と言われれば、案外と素直に聞くヒメは、今までひどく叱らなければならないほどの行動をとったことはありません。しかし、やはり思いきりやってみたいという欲求はあるのでしょうか、いけないといわれても、とことんやってしまうデイビッドと、それを叱るママの言葉を、全身で楽しんでいます。 <まつりかの感想> ダメ!と、強く注意しなければならないことも、子どもの年齢があがると減ってきます。5才にもなると、ダメな理由をちゃんと伝えられるくらい、ヒメにも聞く余裕が出てきて、またそれを理解しようという力もついてきているのでしょう。 そういう意味では、3歳ころが最も性質が悪かった んじゃないかなと思います。やってはいけないということを理解できても、好奇心の方が勝って、わざとやってみる。その先どうなるか予測することが未熟で、何かが起きてから反省をするという繰り返し。明らかに男の子の方が、大胆な行動に出てママの怒りをかうことが多いようです。友人の3歳の男児は、未使用のトイレットペーパーを2個、おもむろに掴んだと思ったら、次の瞬間便器の中に放り込んだそうです。また別の3歳児は、お母さんがパセリの苗を買ってきて、プランターに植えかえ、手を洗いにいったそのわずかの合い間に、せっかく植えた苗を根こそぎ抜いてパセリをほおばっていたそうです。 もしも、ヒメがこんなことをやったら・・鬼の形相で怒っているわが姿が目に浮かびます。そのママも、2オクターブくらいの低音で「なにをしているんじゃ〜」と、怒りをあらわにしたそうで。 絵本の中のデイビッドは、家の中で野球をしようとして叱られたにもかかわらず、実行してしまし、花瓶を割ってしまいます。 「ほうら わかったでしょ、デイビッド!」というママ。そこには、部屋の隅に腰かけて涙を流しながらしょんぼりしているデイビッドの姿が。 次のページをめくると、目をうるうるさせて、両手をいっぱいに広げたデイビッドに、ママは 「デイビイ、こっちに おいで。」 と言います。 そしてラストは、お母さんの腕に飛び込み目を閉じて頭を撫でられているデイビッド。 「よしよし、デイビッド・・・ だいすきよ!」 怒られてばかりだったけど、ママはちゃんと自分を受け止めてくれる。 怒ってばかりだけど、あなたが大好きよ。 親は子どもにとっての港でなければならないんでしょうね。受け止めてくれる、認めてくれるという安心感があれば、子どもは羽を大きくはばたかせることができるはず。「だめ だめ」と言い続けて委縮させたり、ただただ怒るだけで突き放してしまえば、十分に羽を広げることができなかったり、変な方向に羽ばたいてしまうのかもしれませんね。 ![]() |
あやちゃんのうまれたひ 浜田桂子/作
<どんな絵本?> 「ねえ、ママ、もうじき あやちゃんの たんじょうびだよ」 「あ、ほんとうだ。あやちゃんも 6さいに なるわね」 「うまれたときね、ちっちゃかった?」 「そうよ、とっても。ママのおなかのなかに はいっていたんだもの」 「ね、ママ、かわいかった?」 「うん、とってもね。あやちゃんが うまれたときの おはなししてあげようか」 「うん、して、して」 ママが当時を振り返りながら、出産当日の話をしているという内容です。 <初めて読んだ4才5ヶ月のヒメの反応> 自分は夏生まれなので、主人公のあやちゃんが12月に雪の降る日に生まれているという設定を見て、「お母さん、雪が降ってなくてよかったね。7月でよかったでしょ」と。いざ出産へ準備をする大変さを、絵本から感じたのでしょうか。 <おすすめポイント> 赤ちゃんの誕生を待ちわびる家族の想いと、誕生の喜びが、娘に、やさしく語りかける口調で書かれています。絵は大きく描かれ、登場人物の表情が幸せいっぱいに描かれています。 子育てをしていく上で、よくある日常の場面を設定に書かれているので、身近に感じられより強い感動を覚えると思います。 これを読むことで、子どもは、自分の誕生の話を聞いてくること間違いなし! 母として初心にかえれるばかりでなく、聞いている子どもは、きっと自分も「あやちゃん」のように、みんなに大切に思われて生まれてきたのだろうと幸せに満ちると思います。 <現在5才0ヶ月のヒメの反応> 何度も何度も「読んで〜読んで〜」といい、それが終わると今度は「ヒメのうまれたひ」のお話をしてほしいとせがみます。しかも、絵本を見せながら少しセリフをヒメ仕様に変えてお話してほしいといわれます。 保育器にいる赤ちゃんに、『1978年12月15日 午前6時43分 女 3150g』と記しているのを見て、自分のことも同じように紙に書いてほしいといいます。 <まつりかの感想> ヒメは7月6日に、5才になりました ![]() 幼稚園に行くようになってからというもの、ヒメと一緒に過ごす時間は短くなり、あっという間に月日が経っていくように感じます。 同時に、ヒメがどれくらい小さくてどんなふうに成長していったかなどの記憶も。、どんどん薄れている今日この頃。 この絵本では、ママの出産予定日は12月2日になっていて、カレンダーにはこの日にリボンの絵がかかれています。しかし、あやちゃんは15日に産まれてきました。 ヒメは7月26日に予定されていたのですが、3週間早く出てきて、6日になりました。 里帰りして出産を迎えた私は、夜中に破水し、しかし「尿漏れ?」などとのんきなことを考え朝までぐっすり眠り、また目ざめとともに尿漏れ感覚があったので、病院へ。 病院に着いた時点で子宮が5センチ開いているといわれ、「なんで破水しているのにすぐ来なかったのか」と言われ、「もう午後には産みますよ!陣痛がきていないなら今の間に昼食を済ませて」と、せかせかとした看護婦さんに言われるがまま、のんきに食べているうちに激痛が走り・・。 あまりの痛さに、「もう生まれます」と先生に頼んで分娩室へ。ところが、痛いのは痛いけれど生み出される感じが全くない。睡魔さえ襲ってくる・・とうとう、「あんたががんばらなくて誰ががんばるんだ」と𠮟咤され、「分娩室に早く入りすぎたね」と皮肉を言われ、ついには、先生が私のおなかの上に乗りぐいぐい押してようやく出産したのでした。 さすがに、ヒメにこんな 話をしてもしかたないので、「お父さんは、東京にいたので、あわてて飛行機に乗ったけれど、結局分娩に立ち会えなかった」という話や、私の親のあわてぶりや、みんなそわそわしながら待ちわびていたことなどをヒメに話すと、とても喜んでいます。「ちいさな ちいさな わたしの あかちゃん。みんなが あなたを まっていたのよ」産まれてくるのはたった一人でだったけれど、赤ちゃんの誕生をたくさんの人が待ちわびてくれていたということ、命はつながっていて、自分一人ではないということ、自分は家族にとって大切な存在なんだと感じることができる本です。 ![]() |
ジェインのもうふ アーサー=ミラー/作 アル・パーカー/絵 厨川圭子/訳
<どんな絵本?> ジェインというおんなのこが いました。 やっと はいはいができる あかちゃんです。 ジェインのもうふは、ピンクで、ふんわりして、あったかーい あかちゃんもうふです。 このピンクのもうふがありさえすれば、ご機嫌。寝るときはいつもこのもうふを抱きしめています。 一センチ、一センチ、ジェインのせいは、たかくなって いきました。 かくれんぼやおにごっこができるようになり、ドアに手が届くようになっても、このピンクのもうふを「もーも」と呼んで、寝るときはやはりこの「もーも」を探します。 もっともっと大きくなって、ある日ジェインは、目をさますと「もーも」がなくなっているのに気がつき泣き始めます。お母さんは、すりきれてぼろぼろになり、体をくるむこともできなくなった、「もーも」を終いこんでいたのでした。 小学生になったある日の夜、寝ようとしときにはっと「もーも」がないことに気づきました。 「あたしの もーもは どこ?」 「あら、ジェイン、あのもうふは、もう ずっと まえから、 つかって いなかったじゃないの。」 お母さんが引き出しにしまいこんでいた、「もーも」は、ほんの小さな切れっぱしになっていました。 ジェインはそれをもらって、部屋の窓のところに置いていました。ある朝、窓辺に青い鳥が1羽、「もーも」から糸を引きぬいています。 ジェインは驚いて、お父さんとお母さんを呼びにいきますが、 「あのとりはね、もうふの いとを つかって、とりのすを つくっているんだよ。」と、鳥の赤ちゃんがやわらかい巣の中で暮らせるように、糸をしいているんだと、お父さんがいいました。 「もーも」がここにないさみしさはあるけれど、その代り、どこかの木で、「もーも」の中で眠っている鳥の赤ちゃんがいると思うと「もーも」をあげてよかったと、ジェインは思うのです。 そして、 ジェインは、じぶんが おおきくなって、もう、あのちいさな「もーも」が いらなくなったことを、ほんとうにうれしいと おもいました。 <初めて読んだ3才8ヶ月のヒメの反応> ヒメは、この本を読んで、自分にはお気に入りの毛布というものがないことに気づき、「わたしのもーもってどれ?」と聞いてきました。仕方がないので、肌身は出さなかったわけではないのだけれど、赤ちゃんのころ使っていた、ピンクのタオルケットを渡すと、「もーもだ」と、満足げに、それを抱いて寝ていました。 <おすすめポイント> 劇作家であるアーサー=ミラー(マリリン・モンローの3番目の夫でもありました)が子どものために書いた初めての童話。ジェインにとって、どれだけ毛布が不可欠なものだったかや、赤ちゃんがから少女への成長過程の描写は、劇作家ならではの繊細さと巧みさがあります。 挿絵は、モノクロの中に、唯一毛布だけがピンク色で描かれています。特に、小さくぼろぼろになった「もーも」をしげしげと眺め、いとおしく思っている場面の挿絵は、その唯一のピンクが効果的です。 原題は『JANE'S BLANKET』 <現在4才11ヶ月のヒメの反応> ジェインが、しばらく使っていなかった毛布のことを突然思い出し、「もーもはどこ?もーもを出して」とだだをこね、それに対しておかあさんが戒める場面のセリフを読むときに、ついつい、いつもヒメを叱るときのように強い語気で読んでしまうのを、「お母さん怖い読み方しないで〜 」と悲しげに訴えてきます。ごめんごめん・・つい力が入ってしまうのよ。 「あかちゃんのときには できなかったことが いまではたくさん できるようになりました」という言葉がお気に入りです。 <まつりかの感想> 赤ちゃんのころから、これだけは手放さないお気に入りのもの、というのは、ヒメにはありませんでした。あえていうなら・・3歳まで、離せなかったのが、左の親指 。そう、指しゃぶりです。私自身は幼いころあるバスタオルがお気に入りだったようで、どこへ行くにもそのバスタオルをずるずる引きずって歩いていたそうです。 そう言われても、自分のことは漠然としか思い出さないのですが、2歳下の妹が、ミッフィーのタオルケットの角に異様に執着していたことは、よく覚えています。4角あるけれど、一つの角を自分の鼻の下に押し当てて、においをかいでいるのか、ふわふわを楽しんでいるのか??。その角は真っ黒になっていました。あまりに汚れがひどいので、母が洗って干していると、その下に座りこんででも、鼻に押し当てていたのを思い出します。妹が、いつそのタオルケットを卒業したのか、手放すときにどういう気持ちだったのかはわかりませんが、きっと、「気がつけばなかった」というのが一般的なのではないでしょうか。 しかし、ジェインは、お気に入りの毛布と素敵な卒業をすることができました。ジェインが自分の毛布を小鳥に持っていかれてしまいさみしがっているときに、お父さんがいう言葉「ジェインが心の中でもうふのことを思い出すと、もうふはまたジェインのものになるんだよ」。この言葉に納得し、毛布が自分には不要になり、鳥にあげることを喜びに思えるのです。 過去と比較して、自分がどれだけ成長しているか、たとえばピアノが弾けるようになった、鉄棒ができるようになった、自転車に乗れるようになった・・などなど。「以前はできなかったことができるようになった」ということで子ども自身、成長を実感していきます。 また、過去に使っていたものが小さくなったり古くなったのを見ることで、「ものが小さくなって必要なくなった」、つまりそれだけ自分が大きくなったことなんだと感じるでしょう。 この本では、ジェインの成長描写が、この2つを交互に使ってあらわされています。あんなことも、こんなこともできるようになったけど、だからこそ使わなくなったりいらなくなったりするものがあるんだということ。 ヒメが使っていたおもちゃや、洋服なども、あっさり人に譲ったり捨ててしまうことがあるのですが、手放す前に、ヒメ自身があらゆる意味で納得し、大きくなったことを喜べるような働きかけをしてみようかなとも思いました。 「ジェインのもうふ」と同じくらいの価値は、「ヒメの左手の親指」。指しゃぶりをしている子どもを見かけると、自分の親指を見つめながら、「前はね〜、ここに吸いダコがあったんだよね。でも今はきれいになくなったね」と言います。吸いダコも、今となってはとても懐かしく貴重なのです。大好きだった親指と、決別した2年前。現在の、タコのないきれいな親指こそが、ヒメにとって成長を実感するものなのかもしれません。 ![]() |
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